艇名と小学生時代の英雄
私の艇の名は”Horatio”(ホレイショ)
アルファベット表示だとなかなかホレイショとは読んでもらえない。
僭越ながらネルソン中将のファーストネームをいただいた。
私は小学生の頃からナポレオンの大ファンだった。小学校4年生の時に親に買ってもらった子供向けの伝記本である「皇帝ナポレオン」を小口が真っ黒になるまで読んだものである。そのナポレオンの伝記の中で最も小学生の私の心を動かしたのはナポレオンが皇帝になる前のエジプト遠征であった。英国やオーストリアと戦うのではなく、英国の重要な植民地であったインドを脅かすエジプトの地に遠征するという発想と勇気に感銘を覚えたのである。400隻にも及ぶフランス艦隊が集結していたのは南仏のツーロン港。そこは、英国艦隊が厳重に封鎖していた。その際に英国艦隊を率いていたのがネルソン中将だった。ナポレオンは嵐に紛れてツーロンを脱出してしまう。伝記本にあった嵐の中を出港する艦艇の挿絵は今でも忘れない。最初は息をのんで読んだものだ。そして、ナポレオンはエジプトに上陸してしまう。ナポレオンの出航を見逃してしまったネルソンは地中海中を探し回り、ついにナイル河口停泊している仏艦隊を発見し、全滅に近い損害を与えたのだ。その結果、ナポレオンのエジプト遠征軍はアフリカ大陸に孤立してしまった。ナポレオンはその後部隊を残して単身フランスに逃げ帰ることになる。残されたフランス軍はトルコ軍に降伏せざるをえなかった。ネルソンの完勝であった。
その後、トラファガルの海戦においてフランス・スペインの連合艦隊を破り、ナポレオンの英国遠征の夢をあきらめさせたのである。しかし、そのネルソンもトラファガルの海戦にてマスケット銃で狙撃されて戦死してしまう。ネルソンは世界における英国の制海権を確立した提督と言っても過言ではない。その栄誉をたたえてロンドンのトラファルガー広場に銅像が高くそびえている。
陸のナポレオンに対して海のネルソン。そんな英雄像が私に焼き付いていた。4年前に艇名を考えることになったが、私はそんなに迷わなかった。はじめはそのまま”ネルソン”にしようかとも考えたが、戦艦でもあるまいし、恐れ多いということで、ファーストネームをいただくことにした。
また、ホーンブロワーシリーズのホーンブロワーのファーストネームもホレイショ。作者はネルソンからイメージしたのであろうか。
これからさらに船の歴史とともにネルソンの生涯を調べて行きたいと思っている。
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