「アバター」は劇場で見そびれてしまっていた。3Dとか派手な宣伝に気後れしたのかもしれない。レンタルのDVDが出たので見てみた。直ぐに気づいた。これは、「ダンス・ウィズ・ウォルブス」だと。
「アバター」の舞台が未来の惑星パンドラなのに対して、「ダンス・ウィズ・ウォルブス」は19世紀の北米大陸。後者はすでに歴史となっているので、結末は史実どおりにせざるを得ない。インディアンが白人の侵略に耐えかねて山奥に逃げるシーンで終わっている。インディアンはヨーロッパ人に敗退したのだ。
ところで、ヨーロッパ人は、アメリカ大陸のことを「新世界」と呼ぶが、アメリカの原住民からすると「現世界」だつたのである。そこを「新世界」と勝手に言ってしまい、自身の行動を正当化するところがヨーロッパ人の真骨頂だ。彼らは人を殺しながらその血で自身の勢力を拡張してきたことを理解している。
そこで、ヨーロッパで食えなかった白人が命を賭して海を渡ったわけだが、新世界はすでに先住民のものだった。彼らはさらに西部をフロンティア(辺境)と呼んだが、そこは先住民の古里であった。ヨーロッパ人は先住民たるインディアンを追い出さないと自分の糧を得ることができなかった。彼らはそれは話し合いなどで解決できる問題ではないと正確に理解していた。
ただで、土地を明け渡してくれるはずがないからだ。そんなお人好しはいない。そこで、殺すことで解決した。それしか方法はない。
これは北米大陸のみでなく、メキシコのアステカ、ペルーのインカも同様だった。より組織的な文明を築いていたにもかかわらず、この両文明は簡単に滅ぼされてしまった。それは両文明にはスペイン軍が持っていた鉄砲も馬も甲冑もなかったからである。
トルーマンは日本に原爆を落としたが、その考え方はインカ帝国に対してピサロが鉄砲を使ったのと基本的には同じだと思う。日本は進入してくるB29を探知することも撃墜することもできないほど技術的に遅れていたし、弱かったからだ。しかも、ポツダム宣言の受諾も拒否しており、話し合いで降伏させられないのであれば、皆殺しにするしかない。インディアンと同様に。
一方、原爆と鉄砲の効果は違うようで実は同じだ。スペイン人には原爆はなかったものの、ペルー人を鉱山で奴隷として過酷に使役して広島、長崎における被災者以上に殺害している。
原爆の投下とか殺人を許容するわけではない。しかし、生きていく上で、そのように考える他人がいることを前提に物事は判断した方が賢明だろう。気をつけなければならない国や人は少なくない。
「ブラッド・メリディアン」は「ダンス・ウィズ・ウォルブス」をさらにリアルに描いた小説。アメリカ人の非正規軍であるインディアン討伐隊のインディアン、メキシコ人の虐殺の事件を綴っている。ヨーロッパ人がいかに大量で凄惨な他民族の殺害をしてきたか。しかし、これはヨーロッパ人だけではないのだ。ロシア人も、中国人も、カンボジア人も日本人もみなそうだった。
また、米国人におけるフロンティア精神とはきれいごとではないと理解した方がいい。フロンティア精神とは奪うことの正当化。簡単にいうとやられた方は不当だというが、やった方からすると正当なのだ。
ブッシュがイラクに攻め込んだ理由もこの延長線で考えればよくわかる。相手(フセイン)が弱いと見ると殺すことで解決しようとするのが彼らの昔からの習慣だからだ。
しかし、私は侵略とか虐殺などを善悪、好悪の感情で論じても得るところがないと思う。なぜなら、人類の間にも「自然選択」は存在し、変化に適合した者だけが生き残るからだ。
ヨーロッパ人は勇気をもって海を渡り、自ら生き方に変化(成長)を加えた。一方、インディアンは海を渡らなかった。日本人はかろうじて、幕末における急速な近代化によってヨーロッパ人の侵略をしのいだ。しかし、振り返ってみれば、秀吉の時代には朝鮮に攻め込む気概を有していたのだ。
客観的に見ると、人のものを奪うには、何らかの強さが必要であり、それは変化に対応した結果であると考えられる。白人もヨーロッパで鎖国をしていたら多くの人々が飢え死んでいただろう。
視点を変えると商売も同じだ。ユニクロは山口の地から全国の百貨店、スーパーの商圏を脅かし、ニトリは北海道から全国の家具店の商圏を掘り返している。アマゾンはアメリカの書店の商圏からスタートして、全世界の書店の商圏を攻めている。本だけではなく、他の商品も拡大しつつある。
変化を仕掛けて、変化に対応できない競争相手を滅ぼすことによって商売はなりたっている。これが資本主義における「自然選択」といえよう。
「アバター」における惑星パンドラは地球からの侵略を撃退できた。これは滅多にないことだと考えた方がいいだろう。幕末の日本もそうであったのかもしれない。今後急速な成長をしないと次の人類の侵略は防げないだろう。
ジェームス・キャメロン監督は惑星パンドラをアメリカに擬えているのかもしれない。次の脅威に備えよと。アメリカは一昔前は一方的に殺す立場だったが、9.11以降アメリカ人も殺される立場に変わったからだ。
「アバター」にはおそらく続編があるだろう。
楽しみだ。惑星パンドラは変化していないインディアンの集落のままだと思うが...
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