アタワルバとフランシスコ・ピサロ
アステカ帝国(メキシコ)を侵略したスペインは南下し、インカ帝国(ペルー)を目指した。
わすか200人の兵士で。
ピサロを含む当時のヨーロッパ人のどん欲なこと。Goldがすべてであった。当時のキリスト教の教義と異教に対する制裁の厳しさは、アメリカ大陸の原住民の虐殺をすすんで容認した。西に向かった十字軍。異教徒は人にあらず、異教徒というだけで死に値した。殺戮の根拠を宗教が与えた。
ヨーロッパ列強が、19世紀にアジア、アフリカを植民地化し、原住民を奴隷同然に扱った根拠の一つが、ダーウィンの「種の起源」であったという。生存競争において劣勢種は淘汰されるものだという教義。
ナチスのユダヤ人政策も同様であるといわれている。
相手を殺すには何らかの理由が必要。その理由が、大きな集団で共有された場合が歴史の曲がり角となる。
ピサロの周到で用心深い性格とインカ皇帝アタワルバの軽率な行動は対照的。
1532年11月16日 なぜかアタワルバは近習を丸腰にしてスペイン軍の宿泊地を訪問する。秀吉が家康他何人かのライバルに用いた手法だ。家康は秀吉を殺せなかった。ピサロはインカ人2,000人を殺戮し、アタワルバを捕らえた。アタワルバはスペイン人を見損なっていたようだ。彼らはGoldのためには何でもするのだ。
とらわれたアタワルバは幽閉されている部屋を黄金でいっぱいにすることを条件に解放を要求する。ペルー全国から皇帝のために金という金が集まって、部屋を黄金でいっぱいにしたが、アタワルバは解放されない。そして、その後処刑される。
皇帝を失ったペルー人は呆然自失。組織だった抵抗をする能力を失った。
スペイン人は人数ではインカ軍の比ではなかった。しかし、一方は甲冑に身を包んでいるのに対して肌が剥きだし、一方は、鉄砲に対し、弓矢。一方は大砲に対し、何もない。人数比を超越した武器・戦術の差があった。
今、誰がアタワルバで、だれがピサロなのか?勇気と無謀は紙一重。文盲であったと言われるピサロ。それでも一つの国を征服してしまう。近くの国にもピサロがたくさんいる。自分の価値観・経験で他を計らないことだ。ローマを滅ぼしたのも野蛮人だったのだ。
インカ帝国は滅亡し、スペインの植民地になってしまう。原住民はGoldを掘るために鉱山で重労働させられ、次々と死んでいき、アフリカから奴隷を輸入しないと生産ができない状態にまでなる。戦争に負けてはいけないのだ。古代は敗北即奴隷化を意味していた。
ビジネスにおけるピサロはだれであろうか?現代のピサロはスペイン人ではなく、アングロサクソンに多いのではないか。アングロサクソンはスペイン人に学んだのか。自由競争という新たな宗教に基づいて...
「ペルー征服」W.H.プレスコット著はインカ帝国の滅亡をあますところなく伝えてくれる。滅亡の結果はあまりにも悲惨。国民全員が奴隷。皇帝のあまりにも軽率な選択の結果であった。
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