現代の奴隷と自立できない日本人
私は8月30日に投票するために新幹線に乗って住民票登録地に帰るつもりだ。
何のための往復の交通費を払って投票するのか。
どの政党の政策が云々という政治論議をするつもりは毛頭ない。なぜなら、公約は反故に等しいからである。(ヒトラーは「条約は反故に等しい」と述べていた)従って、マニュフェストを前提に選択しても意味がない。
前回の総選挙における与党政権の公約はことごとく破棄された。国民主権は名ばかりで、国家は所有者が管理を委任した管理者たる公務員と政治家のものであることが改めて明らかになったと考えるべきだ。すなわち、所有が問題なのではなく、管理・占有者が実質的な「所有」をしているという事実である。それは、上場企業は所有という観点からみると株主のものであるが、実質的には使用人上がりの役員のものである。ずっと昔から実質的な権限は所有者から管理者に移行しているのである。大日本帝国憲法下における天皇と軍部の関係を考えるとわかりやすい。それは戦後も変わっていないのである。
一方、選挙は自分自身と「国」との関係を考えるよい端緒だ。私は生まれたときにすでに日本国の国民であった。国民であることの得失はなんなのであろうか。また、自分が国のためにできることは何なのであろうか。
国民主権の名の下に選挙権が認められているが、代議士を選択するというのは自分にとってどのような意味があるのだろうか。
この選挙はマスコミの夏枯れの8月において最大のネタになっている。国民の声と称してインタビューの様子がTVによく見られる。インタビューを受けた国民は、「国」に対する様々な要求を語っている。国(自分ではない他者)に何かを求めている。では「国」とは何なのか。
政治の大きな仕事の一つは税金という名で集めた金の使途の決定であろう。米国が英国から独立した理由は税金の問題であった。税金が本国にもって行かれるのを是としなかったために8年にもおよぶ戦争に突入した。有名な「代表なければ課税なし」である。ボストンにおける茶会事件は独立戦争の発端となった象徴的な事件である。それだけ、以前は「国」という他人に金(税金)を取られることが異常なことであったのだ。それに対して現代は税金を取られることは当たり前となり(国民の義務と教育されて支払うことに慣らされてしまった)、問題は使途に移っていった。どうせ払うなら払った以上にリターンが欲しいということになってしまった。政治家は自身の選挙区に髙リターンを約束することで票稼ぎをしている。そこで、選挙期間中だけは国民主権(だから政治家は選挙期間中だけは選挙民に頭を下げる。当選すると突然頭を下げられる立場に変身する)なのだが、選挙が終わると国は次回の選挙までは公務員と政治家のものとなるのだ。
「代表なければ課税なし」が今でも通じるとしたならば、現在の日本人は自分の代表を選ぶことが可能なのであろうか。代表を議会に送ることができなければ、納税する義務もないのである。しかし、否なのである。利害が輻輳する現代においては課題が多すぎて、誰の代表であるかを明確にすることが被選挙者自身が表明することが困難なのである。集めた税金を農民の補助金に使うのか、道路建設をしている人に使うのか、自動車を製造している人に使うのか、生活に困っている人に使うのか、お金がなくて子供を持つことをためらう人に渡すのか。というように一つの次元だけで判断できるのであれば、選択は容易だ。しかし、、自動車メーカーに勤める人で自動車販売に補助金も欲しいし、個人的に小さな子供を抱えているので子育て支援も欲しいとなると選択は難しくなる。利害の組み合わせは無限大であり、結果としてあらゆる有権者に対して都合のよい公約を行う。しかし、あらゆる人に有利な選択は不可能なのである。
そこで、低負担・高福祉という非現実的なマニュフェストがまかり通る。高負担・高福祉、低負担・低福祉という考え方は理解できる。しかし、低負担・高福祉はあり得ない。そんなうまい話はあり得ない。どこかに仕掛けがある。ただし、古代ギリシャ・ローマ時代のように奴隷がいた時代は別だ。古代は戦争に勝つと負けた国の住民はすべて奴隷とされた。食料の生産から家事労働まで全部奴隷にやらせた。結果としてご主人様は思い通りの生活をエンジョイできたのである。
実は現代においても奴隷を作ることは可能だ。では誰が奴隷になるのであろうか。それは未来の国民(次世代)である。現在幼児もしくは出生していないために彼らは投票できない。欠席裁判によって付けはすべて将来に回されている。彼らが付けを払うときは現世代の大半は生きていない。責任を追及されるおそれはない。ここに大きな政治的なモラルリスクが存在している。政治的なモラルリスクとは政治家の問題ではない。選挙権を持つ国民の責任なのだ。
自動車や家電製品を購入する、あるいは子供を産み育てる資力がなければ、それなりの生活をすればよいではないか。人の金でその欲求が満足できたら幸せなのであろうか。そもそも誰が何のためにその税金を負担するのだろうか。
「代表なければ課税なし」は今でも有効な言葉だ。自分の代表を見いだすことは困難だ。すべてを求めることはすべてを失う可能性があることを考えた方がよい。そもそも巨額の財政赤字が存在しているのだ。ない袖を振るのは次世代という奴隷に付けを回すことである。
選択肢は、次世代の奴隷に付けを回すか、政治に期待しないで自立するかの二者択一である。
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投稿情報: 相互リンクのご依頼 | 2009/08/26 02:58