毎年12月10日に行われるノーベル賞の授賞式。日本人の受賞者も増え、関心が高まっています。
ノーベル賞がアルフレッド・ノーベルの遺書によって実現したという歴史から、死んでもその意思を実現する「遺言・遺書」の機能に改めて注目したいと思います。
その賞で名の残っている(メダルにも彼の顔が刻まれています)ノーベルですが、生前にノーベル賞の仕組みを準備していたわけではありません。彼の構想は死後、遺言書によって初めてその内容が明らかになりました。
遺言執行人として指名されていた2名、ラグナル・ソールマンとルドルフ・リエクヴィストの努力によってノーベル財団とノーベル賞の仕組みができあがったのです。
第一回の授賞は1901年。死後5年を経過してノーベルの生前の意思が実現しました。そして、100年を超えて今に至るまで、ノーベル賞の受賞式は毎回ノーベルの命日にストックホルムで開催されるのです。
なぜ、ノーベルはノーベル賞の創設を思いついたのでしょうか。
1888年 兄のルードビィが亡くなります。新聞がノーベル自身がなくなったと誤解して「死の商人亡くなる!」などと、自身を中傷するような書き方をしたことを、ノーベルはひどく気にしていたといいます。なんと言っても爆薬の商売です。鉱山や建設現場における平和的利用もあるものの、戦争に消費される量が圧倒的に大きかったのです。
彼は大金持ちの「死の商人」という経歴で死にたくはなかったのかもしれません。
また、愛人ゾフィーに対する手紙にはこのように記されています。
「私の周囲の者たちは、遺書を見てきっと落胆の表情を見せるに違いありません。
私にはそれが楽しみです。遺産が下りないとわかったときの、彼等の驚きの眼と呪い
の声に接するのが。」
(「アルフレッド・ノーベル伝」ケンネ・ファント著、服部まこと訳)
の声に接するのが。」
(「アルフレッド・ノーベル伝」ケンネ・ファント著、服部まこと訳)
ノーベルは結婚をせず、子もいませんでした。さらに、親族に多くの遺産を残す意思はなかったようです。生来病弱であり、社交的だとは言えなかった発明と事業の天才は一般人と異なる感覚をもっていたのでしょう。
そして、いよいよ自分の意思の実現に向けて動き出します。
1889年3月3日ストックホルムの友人宛の手紙
「遺書を書こうと思うのだが、誰か適当なスウェーデン人の弁護士に頼んで、私にふさ
わしい遺言状のサンプルをつくってくれないだろうか。最近ではめっきり白髪も増え
、身体もすでに店ざらしの状態で、命のコイルを巻き戻す準備に取りかかっているよ
うなありさまだから。こんなこと、もっと前に片付けておけばよかったけれど、忙し
くて、とても手が着けられなかったので」
わしい遺言状のサンプルをつくってくれないだろうか。最近ではめっきり白髪も増え
、身体もすでに店ざらしの状態で、命のコイルを巻き戻す準備に取りかかっているよ
うなありさまだから。こんなこと、もっと前に片付けておけばよかったけれど、忙し
くて、とても手が着けられなかったので」
そして、ノーベル賞の構想を含む遺書を少なくとも2通残しています。1893年3月14日付のものと1895年11月27日付のもの。後者がエンシンダ銀行に保管されたのが1896年の夏だと言います。その年の12月に亡くなったのですから、ぎりぎり間に合ったのです。
死ぬ前に遺言を用意したノーベルでしたが、それは簡単には進みませんでした。その理由は大きく三つ。
1.遺言の法的形式の妥当性と法的効力の検認の問題
<1>死亡時点の住所(数カ国に家があったため)
<2>受遺者であるノーベル財団がまだ存在していなかったこと
2.8カ国に分散して成立した遺産の安全な有価証券に転換してスウェーデンに送金
する方法
する方法
3.財産を管理して賞を出す新しい機関の創設
特に、遺言の法的な瑕疵によって、遺言の有効性そのものが否定されかねない状態でした。ノーベルの予想通り、相続する金額が少ないと感じたノーベルの親族は訴訟を提起して遺言書の法的瑕疵を突き、遺言そのものを無効にしようと動きました。まさに「争族」です。最終的にはノーベルが指定した金額とは別に、法定相続人に対して遺産が生み出す利息の18か月分を提供することによって、合意に至ったのです。
また、もう一つ意思を貫徹するために重要なことがあります。それは、誰に遺言を託すかと言う点です。ラグナル・ソールマンがいなければ、ノーベル賞は実現しなかったかもしれません。遺書そのものがなければ、ノーベル賞はなかったでしょうが、あの遺書だけでは充分ではなかったのです。
ノーベルのアイデアと実現されるべき意思は、ノーベル自身によって綱渡りをさせられました。もし、遺言書が無効と判断されれば....あるいは、ソールマンが利害関係者を曲芸師のように調整できなければ....ノーベルの莫大な遺産はノーベルの親せきと国庫に行ってしまっていたでしょう。
そうであったとしたならば、アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明した大金持ちの「武器商人」でしかなかったかもしれません。
日本語の「遺言」に英語では「Will」が対応します。
あらためてそのニュアンスの違いに驚きます。
「Will」と言う語感からは、死んでも自分の意思を貫徹する、望みを達成するというような意味が聞こえてきます。後始末というよりは、自分が意思表示できない状態(死後)においてもその意思を貫徹する手段として使う。そして、ソールマンのような信頼のおける遺言執行人にその実現を託すのです。
ノーベルのような富豪だけではなく、誰にでもやり残しがでるはずです。なぜならば、死はいつやってくるかわからないからです。自分の意思を死後においても実現するための手段、それが遺言であり、遺書であるのです。仕事でいうところの、「引継書」といえば一層わかりやすいかもしれません。
アルフレッド・ノーベルはその遺書によって、自分の意思を後世に引き継ぎ、それによって永遠の生を勝ち得たと言えるのかもしれません。
(参考)
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