昨日、子どもをタバコから守る会・愛知の世界禁煙デーのイベントに参加した。
そもそも、タバコはコロンブスが西インド諸島で発見したといわれている。
インディアンが宗教儀式の際に気分高揚のために用いたとされている。
昔の西部劇(古い言い方だが)にカウボーイがインディアンの年取った酋長からコーンパイプをすすめられるシーンを何回か見たことがある。
特別なもの、意味のあるものだったのだ。
「選択」という枠組みで考えたい。
煙がいやだとか嫌煙権ではない。
吸い始めは別として、喫煙者のほとんどは選択肢が喫煙しかないという状態であることが判明してきた。
すなわち、嗜好ではなく、ニコチン依存症という疾病であるということだ。
病気(疾病)となると選択の自由はない...
認知症の患者に認知症をやめろ!というに等しい。
さらに、喫煙しつづけるとどうなるかというリスクに対する知識がない場合には、喫煙をやめるという選択肢が見えてこない。
選択には情報と知恵が必要なのだ。頭がよくても情報がなくては選択ができない。
知らないことほど恐ろしいことはない。
選択肢が限られているということなのだ。
何が正しい医学的な情報を得るのを妨害してるのか?
タバコメーカーか、財務省か。
選択の自由は、みずからそれを求める者にしか存在しない。
原因を自分以外に求めることはできない。
自分の人生は自分できめるしかない。
タバコメーカーや財務省が悪いとすることはできないだろう。
けしからんという人もいるが、彼らはそれで食っているのだ。
彼らは彼らの使命を果たしているだけ。
目的は人それぞれ
たばこ事業法の第一条には下記の規定がある。
子どもをタバコから守る会 愛知の皆さんの取り組みには頭が下がる。
知識がないと選択できないと書いたが、子供は知識のない者の代表だ。
名古屋栄から大須までのデモ行進と大須におけるセミナー
タバコのリスクを訴えるその姿勢は見聞きする人の心に訴える。
子供にタバコを吸わせてもよいのか?と
喫煙する選択肢もあり、喫煙しない選択肢もある。
その選択が将来を決める。
選択する知識がない者には誰かの援助がいるかもしれない。
援助するか放っておくかも選択の一つ
映画「インサイダー」を一度見てほしい。
ラッセル・クロウとアル・パチーノが熱演。
多言を要しない。タバコに関する疑問氷解である。
本であれば「タバコ・ウォーズー米タバコ帝国の栄光と崩壊」がおもしろい。
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