「靴」はあって当然か:靴の戦闘力
下田に滞在している時は、朝食後に散歩をすることにしている。サンバード桟橋からすぐ近くの下田公園(旧下田城跡)から大浦湾、鍋田浜を一周する。およそ1時間20分の行程となる。鳥のさえずりや虫の音を聴きながら下田公園の木立の中と美しい海岸線を歩くのは爽快だ。
ところが、4月よりデッキシューズを新調したために散歩の途中で足の甲、特に親指と小指の第一関節が靴に当たり、皮がすりむけてしまう。そのうち、足を引きずって歩くようになってしまう。なんとも腹立たしい。散歩すらままならない靴とは。しかし、履いているうちに靴も慣れるであろうと引き続き3回ほど履いてみたが、その都度痛い思いをした。そこで、今では素足の上に履くのではなく、ソックスをはいた上でデッキシューズを履くことにした。前のデッキシューズではそんなことはなかった。なぜ、今のはデッキシューズは痛いのか?そもそも、デッキシューズはその名の通り船の上(デッキ)で履くことを前提に作られており、長時間の歩行は想定していない。さらに、今回のはフランス製なので日本人の高い甲には形状が合わないのかもしれない。
昨日は終戦記念日の特集として「硫黄島からの手紙」がTVで放映されていた。無援の孤島で絶望的な防衛戦を試みた栗林忠道中将と小笠原兵団の話である。太平洋戦争中、唯一米軍の損害が日本軍よりも多かった戦闘であった。
日本軍の将校は常に長い軍刀をぶら下げており、戦闘における突撃の際は抜刀し、刀を振りかざしていた。それに対して米軍の将校は軍刀はもっていないが、その代わりに自動小銃を撃ちまくっていた。どちらが生き残るかは見ていても明らかだ。刀は刀の届く距離、1メートル以内に近づかない限り相手に損害を与えられない。それに対して自動小銃は数百メートルの距離から毎分500発もの銃弾を放って相手を死傷させることができるからだ。それを見ていて思い出した。
帝国陸軍は太平洋戦争を第一次大戦並の装備で戦ったといわれる。戦車、大砲、小銃などは第一次大戦並とは言い過ぎだが、当たっている部分もあったようだ。児島讓の「誤算の論理」は戦史における11の「誤算」(誤った選択)を取り上げている。そのうちのひとつが「靴と刀」。
まず、刀についてである。明治時代に行われた日露戦争においても刀創による死傷者は少なかったとされている。奉天会戦における日本軍の死傷者総数2万10名に対して刀創の死傷者は33名に過ぎなかった。ロシア軍に従軍した英国の観戦武官が「ついに刀の戦いの時代は終わった」と手記に記していたそうだ。しかし、日本はむしろ、その後も白兵銃剣突撃に傾注していく。銃のある時代の白兵戦では機関銃がもっとも効果的な兵器といわれている。指揮官が軍刀をもつ必要性はない。それならなぜ日本軍は将校に軍刀を持たせたのであろうか。物量で勝てないと戦う前からあきらめていた日本軍は精神的なもの(刀)に希望を託していたとされている。
他方、靴という基本的な装備はさらにひどかった模様だ。30キロの装備を背負って行軍する歩兵であれば相当に丈夫な靴が必要だ。登山に置き換えて考えれば容易に理解できる。登山靴は底が厚く、水が染み入らない構造になっている。しかも登山は自分の好きなタイミングとルートを選択できるからよいが、兵士たちは天候と戦場を自分では選べない。真冬の雪中もあれば、熱帯の豪雨の中もありうる。山岳戦もあれば、川や沼沢地、砂漠における戦闘も考えられる。どのような状況にあっても戦闘できる足元が望まれる。「硫黄島からの手紙」の兵士たちはきちんとした編上靴を履いているように見えた。もっとも将校は乗馬ズボンに長靴なので問題はない。
「誤算の論理」によると、太平洋戦争開始前においてさえ、堅い皮に加えてサイズが少ないことから、兵士たちは足に靴を合わせるのではなく、靴を足に合わせることを強いられていたという。中国戦線でも交換期限の六ヶ月に一足という基準が物資不足で絵空事となり、歩くこと自体がままならないことがあったようだ。太平洋戦争が始まり物資の不足はさらに進行した。昭和17年には軍靴の材料は、牛革から豚皮に変わり、昭和19年には鯨皮、イルカ皮製品も登場したという。悲惨な敗走で終わったインパール戦では地下足袋で戦った部隊もあったという。
私は朝の散歩の靴で苦労したが、戦場にいた満足な靴のない兵士の苦痛は想像を絶する。
しかし、現代の我々が配慮した方がよいのは物理的な靴ではない。「靴」のように目立たないが、非常に大事なものではないか。あるのが当たり前なので気にならない。しかし、その「靴」が大きく戦闘力を左右していたし、現在もそうなのであろう。
硫黄島に限らないが、最高の戦士には最高の装備を与えなければならないと思う。最高の装備とは必ずしも航空機・戦車・銃砲などのように目立つものとは限らない。むしろロジスティクスが中心となると思う。限られた資源と時間の中でその装備が何であるか判断し、選択することが大事だと思う。
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