国民として国家に求める一番重要な点は身の安全である。
10月18日(日)岡田外相が日本の防衛のために米国に核の先制使用を求めないと述べたという。その理由として核の廃絶を求める日本が核の先制使用を求めるのはおかしいということらしい。おかしいのは岡田氏の頭の中ではないだろうか。
最近民主党の国務大臣の人気取り発言があいついでいるが、本件は国の防衛に関することなのでそのまま聞き逃すことはできない。また、彼が外相に就任してすぐ指示を出した核の国内の持ち込みに関する日米の密約の調査も疑問だ。国家の最高機密に属する事柄を調査と称して内外に公にすることは国益を考えると理解に苦しむ。敵に塩を送るつもりだろうか。正直で人がいいだけのような岡田氏のその感覚ではとても国際舞台で立ち回ることは期待できないと思う。
一方、マスコミや自民党からもこれらの点になんら問題提起がされていないのもおかしい。なにやら日本全体が国家としての体をなしていないような感じがする。
そもそも論理的に矛盾しているのは、相手側に先制使用されない限り核を使わないという内容の国際間で合意ができるのであれば、そもそも核が不要になるはずだ。核廃絶と同義なのだ。しかし、ヒトラーが述べたように「条約は反故に等しい」から先制不使用の条約ができたとしてもさしたる意味はない。条約があっても信用はしないのだ。国と国の関係はそういうものだ。日本自体が信用される立場にないことはインド洋における海上給油をみればよい。政権が交代しただけで国家間の約束を反故にする国を誰が信用するだろうか。
核を持たない日本は日米安保により米国に核による保護を求めてきた。今回、先制不使用を求めるということは、広島、長崎のような致命的な損害を一時的に甘受するということに他ならない。先制攻撃された事実をもって核をもって反撃することで日本を防衛しようというのだ。国民はそのような防衛を容認しないであろう。日本の主要都市が焼け野原になった後では国土と国民が防衛されたことにはならないだろう。
このような政治家の感覚には疑問を持たざるを得ない。何よりも大事なのは核を廃絶することではなく、日本国民の生命と権利を守ることではないのか。核の廃絶はその手段の一つにすぎない。北朝鮮の核、竹島を占拠している韓国、太平洋に進出しようとしている中国。このような現実の脅威に対する対抗策はあるのだろうか。
核を廃絶することは賛成だ。しかし、核に替わる兵器を各国が用意するのは間違いない。
地球の資源は限られている。その分捕りあいなのだ。貿易をする力のない北朝鮮などは武力で獲得するしか方法がない。ほとんどの国家の利害は相反している。話せばわかるというのはまだ余裕のある国であり、余裕のない国は時間がないために武力に訴えるしかない。膨大な人口を食べさせなければならない中国がもっとも危険だ。南シナ海の海底油田のようになりふりかまわずやってくるだろう。その際に日本が蜂の一刺しができるかどうかなのだ。抑止力というのは。
クラウゼヴィッツに再度学んでみるべきだ。
「戦争論」に次のように記している。
「戦争とは相手に我が意志を強要するために行う力の行使である。」「戦争は他の手段をもってする政策の継続にすぎない」
と戦争は政治であることを定義した上で
「戦争のようなきわめて危険な事態では、善良な信条から生じる誤りこそ最悪のものだからである。物理的力を全面的に行使するに際しても、知性のはたらきは決して失われていないので、この力を容赦なく、しかも流血をいとわず行使する者は、敵がそうしない限り優勢を得るに違いない。それによって彼は他に対して掟を定め、そして両者の力の行使は極限まで達することになる。」「戦争の粗暴な要素に対する嫌悪から戦争の本性を無視することは、無益なことであり、本末を誤ったものなのである。」
人間の本性は変わっていない。適者生存の法則は民族単位にも適合する。
核を持たない日本が取るべき国防上の選択肢は限られている。米国の核の傘に入り続けるか、危険を承知で国民を核のリスクにさらすかである。現在は米国の手持ちカードを他国に見せているのである。米国の核に守ってもらいながら、国内に核を持ち込むなというのもずいぶん虫のいい話だ。
手持ちのカードなしに相手と交渉はできない。核を持っていれば削減をカードに相手に削減を求めることができるが、保有していない日本が何をもって交渉しようというのだろう。相手の死命を制する手段を持たない限り、国際交渉で勝利することはあり得ない。
四周海に囲まれて国民はのんびりしているが、日本は北朝鮮に拉致された自国民すら連れ戻せない国なのだ。自国民が拉致されたら昔ならば戦争になっていた。トロイ戦争は一人の王妃を巡る戦争だった。武力を行使できないと見透かされているのでやられ放題。オバマが言い出した核廃絶は国防を考える意味でよい端緒になる。この機に日本が有すべき抑止力を考えるべきだ。安全はただではない。次の総選挙の争点は国防になるかもしれない。
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