1954年、米国防総省はベトナムのディエンビエンフーで苦戦しているフランスへの支援を検討していた。陸軍参謀総長であったマシュウー・リッジウェイ大将は介入する場合に必要な膨大なる兵力と予算を試算してベトナムへの介入に反対するレポートをアイゼンハワー大統領に提出した。その結果アイゼンハワーはフランス軍への支援をあきらめたのである。 後先が逆になったが、ザ・コールデスト・ウィンターはデビッド・ハルバースタムの遺作。1950年に勃発した朝鮮戦争における戦闘と政治の動きを見事に描いている。リッジウェイは朝鮮戦争における米第8軍の司令官であった。アジアにおける戦争を指揮していたのである。リッジウェイは人命を大事にする米国の指揮官であり、少ない兵力で中国のリッジウェイといわれた彭徳懐率いる中国の大軍に勝たねばならなかったのである。
クラウゼヴィッツは防御は攻撃よりも強力であると書いている。その理由の第一は待ち受けることによる時間の優位であり、第二は地形の活用の優位である。一方、攻撃する際の一つの戦術である包囲全滅戦は敵の退路を断った上で、脱出する敵に防御的な戦闘を展開することで優位に立とうとする戦術である。包囲により、被包囲側は補給を断たれるために、補給を受けられる方向(策源地)に向けて包囲網を突破せざるを得なくなる。そこを攻撃側が退路にまわって防御陣地を構築し待ち受ける。包囲された側はその攻撃側の防御陣地を突破しなければならない。攻撃の際も防御の有利さを活用するのである。
包囲全滅戦の例は古くはカンネーであり、第二次大戦ではドイツ軍がロシア軍に対して進攻初年度に数回成功している。逆にスターリングラードでは包囲され、脱出することもできずに全滅したのは有名だ。防御は有利な戦闘形態だが、包囲されると補給が続かなくなる。そこで、空中補給が登場する。ヒトラーが空中補給によって第6軍1個軍を養うと保証したが、20万人に補給することは不可能であった。しかし、包囲されても空中補給により陣地を保持できた事例もある。代表的なのやはり1941年のデミヤンスクにて包囲されたドイツ軍であり、連合軍側は1944年のバルジの戦いにおけるバストーニュの米第101空挺師団であろう。
リッジウエイは圧等的な兵力を有する中国軍の彭徳懐に対して砥平里を戦場に選び、包囲させた上で砲兵と空軍力による防御的な砲火で中国軍を破ったのである。ポール・フリーマン大佐率いる米陸軍歩兵第23連隊は5,400名を持って1951年2月13日から3日間にわたり、中国第42軍の4個師団約4万名を相手に包囲戦を戦って、勝利したのであった。高地に陣取り、時間を有効に活用して築城して中国軍の攻撃を待ち受けた結果だった。
歩兵が自分で持ち歩ける弾丸の数はせいぜい60発と言われている。戦争の映画などを見ると無制限にいつまでも撃ちまくっているが、あんなことをしていたら、あっという間に弾を撃ち尽くしてしまう。砥平里における米軍はそれなりの弾薬を用意したつもりであったが、最後にはその弾薬も尽きかけていたのであった。グロンベス大佐の第5騎兵連隊(騎兵ではない)の救援により勝利をつかんだ。砥平里の勝利により、リッジウェイは中国軍に対する戦闘の自信を米軍に取り戻したのである。
一方、ビジネスにおいて、攻撃と防御とは何にあたるのであろうか。様々な見方はあると思うが、戦争と同じことが言えると思う。訪問して販売するよりは、来店を待って販売する方が有利であるということだ。これは、クラウゼヴィッツの言うところの防御の優位性の2点、待ち受けることとと地形(装備)の活用である。この点はラーメン屋も屋台を引いていくのと、店を構えるのとの違いを考えると明白なことだ。
サービス業においても、店舗における「防御」は運び出せない機材の活用や、複数のスタッフにおける連携などが可能になるだろう。来店させた上で最大の情報提供を行うのだ。お客さんに攻める気にさせること、これがニード喚起である。お客さんが攻撃(来店)する気になるようにニーズを喚起するための「偵察行動」は必要かもしれない。その際はiPhoneのようなスマートフォンやモバイルPCの活用が効果的だ。ほとんどのものがデータ化でき、実物を持たなくてもほとんどの商品がモバイルで説明できる。さらに、お客さんを誘い込む立地と応戦方法にさらなる工夫が必要なのはいうまでもないことだ。
お客さんに攻めさせてこちらは守る。この仕組みができればすばらしい。まさに行列のできる店なのである。
防御もやり方次第という好例をひとつ。砥平里にはフランス軍も参加していた。1954年ベトナムにてフランス軍はディエンビエンフーの山中に陣地を構えてベトミンを待ち受けたが、破れた。ベトミンは山の上に大砲を持ち上げて砲撃した。フランス軍は盆地に陣取っており、地形の優位も活用しようとしなかった。防御の2つの優位性の一つを軽視した防御戦の結果は、砥平里とは反対にフランス軍の降伏であった。フランスはベトナムという植民地を放棄することになる。
現在の行動が攻撃に当たるのか、防御に当たるのか判断は決して簡単ではない。しかし、防御が有利であることを意識して次の行動を選択する方が賢明である。防御で仕事を回すため(相手に攻めさせる)には、時間的な余裕(早期着手)とそれによる周到な準備が必要とされるのは上記の通りである。
(追記)
朝鮮戦争においてBARという兵器が相当重要視されていた。第一次大戦用に開発された支援火器で第二次大戦においても重用された。信頼性が高く、扱いやすかったのであろう。このような兵器をビジネスでも開発して保有しておきたいものだ。
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