日本経済新聞の電子版が3月23日に創刊されるという記事が日本経済新聞に掲載された。
わたしは、同紙のコンテンツにはお世話になっているし、そのクオリティには敬意を表していたつもりである。Web版を待ち望んでいたファンの一人であったが…
その価格設定によって読者として気がついたことがある。
月額4,000円。
その価格は、巨大な印刷工場にて大量の紙にインクで印刷して、多数のトラックで運送し、多数の配達員の給与と多数の販売店へのマージンを払う従来の「新聞」とほとんど変わらない価格である。
もっとも、紙の新聞を購読している読者にはプラス1,000円で提供している。
似たような業界を見てみると、百科事典の世界はかつてブリタニカが1セット1000ドルを超す価格で販売して高収益を揚げていた。しかし、その後1993年にマイクロソフトが電子百科事典(CD)のエンカルタを99ドルで発売した。
私も当時購入し、南北戦争におけるシャーマン将軍を検索したところ、シャーマンのアトランタ進軍の地図(カラー)が表示されて、進路と戦場が音響とともに順番に表示されるのをみて驚いた覚えがある。分厚い十数冊の冊子がたった1枚のCDになって価格は十分の一になった。
しかし、さらにWikipediaが登場して百科事典の価格はついにフリーになったのである。
日本経済新聞の電子版の価格設定から見て、既得権益を有している業者に革命は起こせないということを日本経済新聞社は自ら立証したと思う。
すでに日本経済新聞の販売量はピークにきているということだ。Web版を出したところで今以上に購読者数は増えないという判断から、販売量の増加というよりは、既存の購読者の単価UPを狙ったに過ぎないといって差し支えないだろう。
しかし、世界最大のWeb版新聞の最大手であるWall street Journalの年間購読料は105ドルでしかない。同紙の日本版の月額購読料はわずかに1,380円。同社は自社の戦略をどのように論表するつもりなのだろう。
購読者のロイヤリティに賭けているのだろうか。
そもそも、前夜の23時に締め切られた情報を「新聞」とは言わないだろう。その意味で従来の「新聞」に情報の鮮度は期待されておらず、むしろ、情報の希少性に購読者は高い代金を支払っているのである。
しかし、その希少性に関しても、すでに新聞はその力をWikipediaやYouTubeに奪われている。記者ではなく、全世界の一般人が目の前の事実を刻々とWebにUPしているためだ。その素人記者の数はプロの記者の数の比ではない。
それに、読者が知りたいのは事実であって記者の評価ではない。この点も従来から大きく変化していると思う。記者と読者の間にもはや情報の不均衡はないといって差し支えない。読者は解説を読むまでもなく、自分で事実を解釈し、判断しているのだ。正しいか、誤っているかは別にして。
今回のWeb版の価格設定は同社の経営陣の意に反して、寝た子を起こす効果があった。
従来の購読者も実は必要性から購読しているわけではなく、習慣から購読をやめていなかっただけなのではないか。実はフリーの情報だけでも十分ではなかったのかと。
新聞は購読料と広告料で成り立っている複合メディアだ。しかし、購読料を払ってまで読もうという読者は限りなく少なくなっていくであろう。
今後は素人記者からの投稿を掲載するポータルが広告料だけでやっていくモデルが一つの選択ではないだろうか。
KindleやIPadの登場は当然のことながら書籍だけでなく、新たな電子ニュースの登場を想定していると思われる。
大手新聞社の沈没は時間の問題であることが今回の守りの価格設定で明らかになった。皮肉なことに自らそのトリガーを引いたことになる。
海外に同紙の読者を拡大するなどの動きはすでにしていると想像するが、他の業態を攻めるような動きを期待したい。
この点は守っているつもりの業界や企業にはよい教訓。
ビッドの選択は攻めに使って初めて効果を生むということを。アトムの改善とは大きく意味が違っているのだ。
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