誰でも一度はトウモロコシをまるまる一本かじったことがあるだろう。
夏に露店で焼いたトウモロコシを売っていた。太い茎がそのまま手のひらに納まり食べやすい。
トウモロコシはその太い茎の周囲に隙間なく150から200の穀粒を実らせる。
一粒の種が150から200の子孫残す。小麦ではぜいぜい50粒だというからその生産性の高さには目を見張るものがある。
しかし、トウモロコシは人間の手を借りないと子孫を残すことができなくなってしまったらしい。
私もはじめて気がついたのだが、トウモロコシは厚い皮でくるまれているために、そのまま土に落ちても自然に発芽するのが難しいそうだ。
よって人間が皮を剥いで種を蒔いてやらないと種を維持することができないそうだ。トウモロコシは人間に完全に依存した植物であるということらしい。
「一本のトウモロコシもし落ちて死なずば」ということか。
「死ねば多くの実を結ぶ」他の植物との差は大きい。
土に落ちて自ら発芽するというのはロマンチックだ。少なくとも苗代で人間に育てられるよりは
とはいえ、トウモロコシは植物として空前の繁栄をしている。
トウモロコシが直接人間の口に入ることはさほど多くない。
記憶を遡ってみても、焼きトウモロコシはもう3年は食べていない。
しかし、人間一人あたり年間トウモロコシを900キロ食べている計算になるそうだ。
びっくりするが、直接ではない。
その生産量の60%は家畜の飼料であり、我々は、牛肉、豚肉、鶏肉という形でトウモロコシを食べているというのだ。
バーボン、ビールなどのアルコール
あとはコーン油。これはマーガリンにもなる。
さらに、果糖(コーンシロップ)はコーラなどの清涼飲料水にたくさん使われている。
マクドナルドで大量のトウモロコシを食べていることになる。普段は気づかないが...
最近は自動車の燃料のエタノールも話題になっている。
なぜ、このようにトウモロコシは人間にもてはやされるようになったのであろうか?
トウモロコシの生産性の高さは人間への依存の代償として獲得されたものと考えることができる。
突然変異による進化を放棄した結果だと思う。(人間による意図された品種改良はあるとしても)
トウモロコシは小麦に対する勝者なのだろうか。
勝ち負けの問題ではないだろう。それぞれ生き残っているのだから。
生き方の好み・意思の問題なのだろうか。
自然選択に意思があるのだろうか。
霊長類といわれる人間を含めても、自然選択は結果であり、目的ではない。
結果としてのトウモロコシの生き方を決して否定するものではない。
でも、タンポポみたいに踏みつけられて勝手に飛び回って進化を選択するのも一興だ。
自由主義経済はトウモロコシというよりはタンポポだろう。
トウモロコシはまさにコモデティ
タンポポはコモデティではないが、売ものにはならない。
でも突然変異するかも...する可能性が高い...
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