本日上越市を中心に震度5の地震が発生した。予報はなかった。
上越市というと、新幹線が脱線しながらも無事に停止した新潟県中越沖地震(2004年)が記憶に新しい。またか!という感じ
一方、東海地震は1970年代より発生が予告され、厳重な監視態勢ならびに防災態勢が敷かれているのだが、40年経過しても幸にして大地震は発生していない。東海地域を外して1993年北海道南西沖地震で奥尻島が大津波に襲われ、1995年には阪神・淡路大震災が発生している。さらにこの新潟における地震である。
なぜ地震は東海地震のように想定し、準備しているところに来ないで他の地域に大きな被害を出しているのだろうか?
それは、そこそも地震が予知できる種類の災害なのか否かという問題となってくる。
地震の発生メカニズムはある程度判明しているが、問題はいつ発生するかだ。当然自分が生きている間に発生しないのであれば何も心配することはない。オオカミ少年のように、「地震が起こるぞ!起こるぞ!」と言いながら起こらない状態が一番不安定といえる。
東海地震対策専門調査会の報告では、「必ず地震を事前に予知できるとの誤解も生じている...」との表現もあることから、事実上地震の予知・予報は期待できないと考えた方がよいだろう。
グーテンベルク・リヒターの法則というのがあるらしい。過去に発生したい地震の統計を取っていくと、地震の発生頻度は発生する地震のマグニチュードの自乗に反比例する(べき乗)というのだ。(左表)
べき乗則とは、ある関係を両対数グラフにプロットしたときに直線(比例)となる関係を示すこと。べき乗則に則るモノは「スケールの不変性」となり、規模の大小にかかわらず同じ原因で発生するのだそうだ。
地震の発生がべき乗則に則るということであれば、大きな地震も小さな地震も発生原因は変わらないということになる。であれば、事実上大地震を特定した予知ができない。小さな地震は被害もないので予知する必要はない。小さな地震のたびに避難していたのでは生活ができない。結局、プレートとの摩擦によって岩盤が1ミリ動いてそれで止まるか、もっと大きな断層のずれに発展するかはわからないということだ。地震自体もそれを知らないと表現している。
マーク・ブキャナンは「歴史は「べき乗則」で動く」において上記の地震、山火事、生物の絶滅、株式市場などの具体例を引きながらその発生原因を突き止めることの無意味さを証明している。
べき乗則に乗ること自体が発生とその大きさに相関がなくなることをわかりやすく示したことに本書の意義がある。
経済・歴史においても過去の歴史から将来を予測することの無意味さを悟らなければならない。
物理法則が単純なのであるのに対して世界が複雑なのは「歴史」のせいなのだ。時間が要素として入ることで物事が複雑になる。歴史は未来の出来事を予測するのにほとんど役に立たない。歴史は繰り返さないからだ。
ランダムネスを前提にした行動のメリットは細部にこだわらない態度かもしれない。
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