実の親による子ども殺しや虐待のニュースが目につきます。絶対的な件数は多くはないものの、生まれてきた子どもがかわいそうだと思うと同時に、そのような親の下で仮に大きくなったらどんな人間になるのかを想像すると...
だから、誰もがそうなる前に産まなければよかったのに!(人工妊娠中絶をしていれば)と思うのではないでしょうか?
「ヤバい経済学」の一篇である「犯罪者はどこに消えた?」に興味深いデータがありました。
犯罪が多発しているというイメージの強い米国において、1990年からその犯罪が減少しているというのです。その理由はなんでしょうか?
一つがニューヨーク市の事例です。1994年、ニューヨーク市においてジュリアー二市長、ブラットン警察本部長が就任しました。そして、ブラットンは「窓割れ理論(小さな迷惑は放っておくと大きな迷惑につながる)」に基づいた取締りを行いました。その窓割れ理論というのは、誰かが窓を割ったにもかかわらず、それを直さないのを見ると、その人は他のガラスを割っても大丈夫だろうと思って他のガラスも割りはじめる。さらに放火などの大きな犯罪にも手を染めるようになる。小さな犯罪を見逃さずに対応すると大きな犯罪も防止できるという画期的な犯罪対策でした。
その結果ニューヨークの犯罪は減少したとされ、ジュリアーニ、ブラットン両氏は市民・マスコミから高く評価されました。しかし、レヴィットは、犯罪の減少は1990年から始まっていたと指摘しています。ジュリアー二市長とブラットン警察本部長就任以前から犯罪は減少しており、その対策が犯罪の減少の主たる原因ではなかったというのです。
一方、ニューヨーク市の警察官は1991年から2001年にかけて45%も増員されていました。警察官が増員されると、対策の如何にかかわらず犯罪は減少するようです。しかも、その増員を決定したのはジュリアー二市長ではなく、前任のディンキンス市長だったというのも皮肉な話。対策が効果を現すには時間がかかるということです。対策と効果のタイムラグは常識で考えれば当たり前ですが、人は以前のことは容易に忘れて、現在のことで判断しがちです。
ところが、「ヤバい経済学」の著者であるレヴィットの話の落ちは人工妊娠中絶の合法化でした。1973年の米国連邦最高裁の判決で中絶が合法化されました。その結果、全米では毎年150万件の中絶が行われていいます。その結果、150万人の生まれるべき?子供が生まれてこなかったことになります。
生まれてこなかった子供はどのような環境にあったのでしょうか?合法化以前に中絶ができなかったのは結婚できなかった貧しい、未婚のティーンエイジャーだったといいます。生まれていれば、貧困と片親という環境で育つことになり、犯罪者になる可能性がそのような環境ではない子どもの2倍にもなるとデータは示しています。
犯罪を犯す可能性の高い子どもが毎年150万人も生まれて来なかった...
中絶の合法化が1973年だったので、生まれてこなかった子供が犯罪を犯す年代になる頃から犯罪が減少してきたというのです。驚くべき仮説ですね。
中絶率と犯罪発生率の相関は他の州のデータで補強されています。連邦最高裁判決以前に中絶を合法化していたニューヨーク、カリフォルニア、ワシントン、アラスカそしてハワイ州では犯罪が他の州に比べて早く減少しているのです。
レヴィットが提供する厳しいデータからすると、出産してからでは手遅れです。
一方、日本における中絶は年間約25万件と言われています。
出生数の約1/4にあたります。しかし、さらに子どもを育てる自信がない夫婦のために、妊娠中絶をもっと受けやすくなるような経済的、社会的な仕組みが必要かもしれません。それはその母親のためだけではなく、その子どもとその子どもを受け入れる社会のために。
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