1916年8月30日 南アメリカと南極の間のドレーク海峡にある絶海の孤島エレファント島にて救出された隊員はシャクルトンに対してこう言いました。
「ボス、あなたならもどってきてくれると信じていました。」
この言葉は、シャクルトン自身曰く、彼に対する最大の賛辞でした。
大英帝国南極横断隊は南極までも行けず、遭難しました。
20世紀初頭の極地をめぐる探検は、ピアリー(米)が北極点に1909年に到達。アムンセン(ノルウェー)が南極点に1911年に到達。スコット(英)もアムンセンに遅れること1ヶ月で南極点に到達。というように極点はすでに征服されていました。すでに2回南極に遠征していたシャクルトンは、極点への到達ではなく、横断を遠征の目標としたのです。
シャクルトンはブエノスアイレス経由でウェッデル海を目指しました。しかし、エンデュランス号は1915年1月に南極圏のウェッデル海で氷に閉じ込められた上、氷の圧力によってその船体は潰され、結果として沈没してしまいます。
しかし、3隻のカッターを最初は陸上を引きづり、その後荒れた海を乗り越えて奇跡的に生還できたのです。27名の隊員が1名も欠けることなく生還できたことにより、シャクルトンの名声は上がりました。シャクルトンは南極遠征は失敗に終わったものの、全世界の英雄となったのです。その経緯は様々な本で紹介されていますが、「そして奇蹟は起こった!シャクルトン隊全員生還」をおすすめします。
ここまでが、シャクルトンの光の部分です。
一方、シャクルトンの南極横断遠征にはロス支隊という別働隊がありました。シャクルトン隊はウェッデル海から上陸してロス海に抜けて南極大陸を横断する計画でした。その距離1500マイル、約4ヶ月の行程だと考えられていました。
問題は補給でした。極地をソリで移動しますが、食料・燃料などの生存に不可欠な物資が多ければ多いほど負荷が大きくなり、スピードが遅くなります。そこで、マッキントッシュを隊長とするロス支隊がルートを逆側から出発して、シャクルトン隊のための補給基地を南極点近くまでいくつか設置することになりました。
陰の部分はマッキントッシュの率いるロス支隊になります。ロス支隊の使用する船オーロラ号はとんでもない状態にありました。シャクルトンはそれを見もしないで購入しました。資金がない中でマッキントッシュは苦労して艤装し、必要な資材を積み込んでロス湾に向けて出航します。しかも、隊員の募集にも苦労し、彼のチームのメンバーに極地での経験がある者はほとんどいませんでした。
南極に到着したロス支隊は、命がけで補給基地の設置に成功します。しかし、その成果はシャクルトン隊が遭難して南極横断に取りかかっていなかっため、結果としては全く無駄だったのです。しかも、隊長のマッキントッシュを含む3名の命を失います。
なんとかロス支隊は救出されました。1917年1月10日のことでした。
ロス支隊の損害の理由を一言でいうと準備不足です。シャクルトンはロス支隊のメンバーの人選、船・装備の準備と選定、資金などすべてに渡って不完全な状態でエンデュランス号に乗って出航してしまいました。
エレファント島で救出された隊員とは裏腹に、ロス支隊の隊員のジョイスはかつて尊敬していたシャクルトンに向かって遠慮なくかみついたといいます。「オーストラリアで船を艤装するという危ない橋を渡った。」「客間でのお茶会にしか向いていない連中を雇ったとき、(シャクルトンの)目はどこを見ていたのか?」と
私は、ロス支隊のことがあったからと言って、シャクルトンの偉業の価値が下がるとは思いません。
準備不足は間違いありませんが、それがシャクルトンの精一杯だったのです。
おそらく当時も今も、探検というのはその程度のものかもしれません。
行ってみないとわからない、やってみないとわからないのです。探検は...
リスクがあるから、探検と言うのでしょう。
そもそも南極を横断することに何の意味があるのでしょうか?
それは、それをしたい人にしかわかりません。
シャクルトンだけでなく、マッキントッシュをはじめとする隊員も名を残しました。
それでいいのではないでしょうか
シャクルトンは光でマッキントッシュは陰だったのかもしれません。
構図の中において陰の存在は小さくはありません...
<大英帝国南極遠征隊のログ>
1914年8月8日 エンデュランス号 プリマスを出港
1914年12月5日 エンデュランス号 サウスジョージア島を出港
1914年12月23日 オーロラ号 タスマニア ホバート港出航
1915年1月18日 マッキントッシュ隊ロス島上陸
1915年1月19日 エンデュランス号 浮氷群に閉じ込められる
1915年10月27日 エンデュランス号 破壊される
1915年11月21日 エンデュランス号 沈没
1916年1月26日 マッキントッシュ隊 最終補給基地設定。帰途に着く
1916年3月9日 マッキントッシュ隊 スペンサー・スミス死亡
1916年3月18日 マッキントッシュ隊 ベースキャンプ(ハット・ポイント)到着
1916年4月15日 シャクルトン隊 エレファント島上陸
1916年5月8日 マッキントッシュ隊 マッキントッシュ、ハワード死亡
1916年5月10日 シャクルトン サウスジョージア島上陸
1916年5月20日 シャクルトン サウスジョージア島ストロームネス到着
1916年9月16日 シャクルトン隊 エレファント島から救出される
1917年1月10日 マッキントッシュ隊 オーロラ号に救出される
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