東北大震災で被災された皆さんにお悔やみ申し上げます。
東北大震災で日本は大きな痛手を負いました。
しかし、このような災害はいままでも何回も繰り返されてきたことであり、今に始まったことではありません。しかも、今後も引き続き発生する可能性が小さくありません。
この大災害は自分の生き方を見直す端緒となります。
三陸地域のリアス式海岸の低地において損害を受けた住宅などの建物について考えてみました。
今回の震災による津波の規模は、想定外だった!との報道をよく聞きます。
本当に想定外だったのでしょうか?
どうやら、明治29年と昭和8年に発生した三陸津波の規模は今回に劣らないものであったようです。
Youtubeに畑村洋太郎氏のNHKの放送内容が紹介されていましたので「だから失敗は起こる」を購入して読んでみました。
死亡2万2千人を数えた明治29年の明治三陸大津波の最大波高は38.2m。
死者行方不明者3千人の昭和8年に発生した昭和三陸大津波の最大波高は23〜29mだったそうです。
というように、三陸海岸は、すでに過去に2回同じような大津波に襲われていたのです。
同書の紹介で印象的だったのは、石碑の話です。
明治29年の大津波の後に宮古において、到達した地点にいくつもの石碑が立てられていて、次のような文言が刻まれているそうです。
「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」
ところが、その後、その石碑の下には様々な建物が建てられました。
畑村氏は、失敗の教訓は30年で忘却され、その後無関心となり、人間はリスクに対して傲慢になると言います。
この石碑の存在などから、現地にお住まいの方々は過去の津波の規模と被害については十二分に知っていたと思われます。
では、なぜ知っていたにもかかわらず、石碑の下に家を造ったのでしょうか。
大津波が発生する可能性は認識していたものの、近いうちに(自分が生きている間に)発生するとは思わなかったということでしょうか。
津波はいつ発生するかは、わからないとしても、海に近いところに家を建てた人は、この想定内のリスクを理解していた上で津波に遭われたのであろうと推測します。
生活の利便性を考えると、海に近い平地がいいでしょう。
来るか否かわからない地震と津波のために、山を登り降りするのは大変なことだと思います。何十年に1回あるか否かわからない津波と生活の利便性をはかりに掛けた結果は、人によって異なります。
違って当然だとも言えます。
その選択は本人がすることです。
ここが、ポイントだと思うのですが、リスクを判断したその個人を他人が後知恵で云々する必要はないと思うのです。ですから、個人が許容したリスクに対して、「失敗」という言葉は不適切なのです。
失敗を判断するのはその人本人であり、その価値観なのです。
それは自分自身のリスクで考えてみれば容易に分かります。
東京で今回と同じ規模の地震が発生した場合の損害は計り知れません。
しかし、だからと言って、職を捨てて東京から地震のリスクの低い地方に移住する人は皆無といっていいでしょう。
なぜなら、それは東北大震災と同じで、自分が生きている間は起こらないだろうと想定しているか、そのリスクを取るだけのリターンが東京にあると考えているかでしょう。
多くの人々は自分自身の家や生命のリスクを承知の上でそこに住んでいると言えます。それは、想定内のリスクであり、万一のリスクを甘受するつもりで現在住んでいる東京に住み続けているのです。
それは、積極的というよりは、仕方がないと言ったレベルのリスクの許容かもしれませんが...
もっと卑近な例を取り上げると、自動車を運転すると、事故を起こすリスクがあります。また、飛行機に乗ると墜落するリスクがあります。アルコールを飲むと、健康を害するリスクがあります。釣りに行くと、船が転覆して水死するリスクがあります。
だからと言って、リスクのある行動を何もしなければ、生活ができないでしょう。
リスクとリターンはトレードオフの関係にあると言えます。
そう考えると、三陸のリアス式海岸における津波だけを特別視しても、山積するリスク全体に対する効果は小さいと言えるでしょう。
さらに、想定済みのすべてのリスクに備えることは可能なのでしょうか?
不可能です。
例えば、日本の海岸を全て高さ40mの防潮提を築くのは不可能でしょう。
しかも、それを超える力が発生しないという保障は何もありません。
あらゆるリスクに備えようとすると、いくら資金と時間があっても足りません。また、現在の生活のレベルを相当程度犠牲にすることになります。
今回の震災で我々がいつもリスクと背中合わせに生きていることを再認識しました。
むしろ、我々は生きているだけでも奇跡的
そして、その生を受けたということは、いつか、その生を失うことを意味すること。
だから、生を失うまで、せっかく受けた生を精一杯生きること。
今日一日の生に感謝です。
東北大震災で死亡された方々のご冥福をお祈りします。
しかし、その気持ちは、原因を自殺、がんなどの病気、交通事故などで毎日発生することが当たり前になって、我々の感覚が麻痺している死と異なるものではありません。
リスクに対しても、死に対しても慣れというものは怖いものです。
追伸:地震・津波に関しては、山村武彦氏のHPが大変参考になります。
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