「問題を解決するには、問題の原因となっている考え方を打破しなければならない。」
アインシュタイン
東北大震災によって、初めて私たちは電気を失いました。停電、計画停電、あらゆる箇所における節電によって、今まで当たり前だったサービスが受けられなくなりました。
無限に使用していた電気が実は、かなり高価なものであったということです。
電力会社は原子力発電をコスト面で安いと考えていたようですが、会社の浮沈を左右するほどの高いものについてしまいました。
しばらくしたら、今までのように電気を使えると考えるのは、少し甘いかもしれません。
持続可能性がある範囲でしか期待できません。
大量消費・所有を前提としたライフスタイルを考え直すよい機会になりました。
GDPという物差しにおける成長の限界がすでに来ているのです。
すでに69億人の人口がある地球において、全ての人間が一人あたりGDPを先進国並みにしようとしたら、地球は沈没してしまうでしょう。
Natural Capitalism 「自然資本の経済」は、GDPを競ってきた産業資本主義の問題点を洗い出してくれています。
東北大震災における被災地の瓦礫の撤去が、問題となっています。あの瓦礫をどこに持って行くのでしょうか?
実は、あのような天変地異が起こらなくても、普段から、我々の現在の生活を維持するために、すさまじい量の産業廃棄物が出ているのです。
本書によると、米国において米国人一人あたり、毎年平均で500トンの廃棄物を直接的、間接的(購入しているモノ・サービスを通じて)に排出しているそうです。思わずどこに捨てているのかと...
考えてみると、プリウスは環境対策車として売られてますが、それは完成後だけの話です。それを作るためには鉄、石油、燃料、水など、どれだけの資源を使い、ゴミにしていることか。しかも、まだ乗れる車を廃車、すなわちゴミにして。
また、地デジはどうでしょうか?いまだに私には地デジが何のために、どのような効用があるのかわかりません。しかし、日本中のまだ使えるテレビを全部スクラップにしてしまうのです。このテレビはどこにいくのでしょうか?
GDPで見ると、完成品しか目に入りません。製品になるまでに必要な資源や、廃棄後の姿は全く評価されていないのです。
Natural Capitalismの筆者である。ポール・ホーケンはB/Sに自然資本を加えるべきと言います。人的資本、金融資本、製造資本に加えて自然資本をと。
東北大震災が改めて気づかせてくれたのは、持続可能性が一番重要だということです。
続かなければ、何の意味もありません。最も重要な持続可能性は、地球における人類の生存であることは言うまでもありません。
それに対して、現在を定点で評価しているのが、GDPです。早く、GDPから脱却しなければなりません。
東北大震災の被災地の持続可能性を考えると、津波で流された場所を元通りに復旧しても、問題の解決にはなりません。次の津波までの一時しのぎにしかならないからです。明治三陸大津波、昭和三陸大津波、そして今回が3度目です。また来ると想定しておいた方がよいでしょう。来年また来るかもしれません。
津波が来ても大丈夫な街作りをすることが持続可能性の前提です。子孫が安心して暮らせる街にしてもらいたいものです。
次に、ポイントだと思うのは、少し目先は変わりますが、個人の多様性の回復です。
大量消費、大量所有は標準化によって可能となりました。販売者は、大量生産によって価格を安くし、大量に販売することを繰り返す。
消費者は、お隣さんと持っているモノを比較させられ、大量のCFによって、モノを購入するように洗脳され続けてきたのです。
そのためか、人と同じモノを持ちたがる。販売サイドで作られた流行を追う習慣が染みついてしまいました。
今後は、そうではなくて、人と違ってもかまわない。自分の好きなことをする。
そうなると、モノを見る目も肥えてくるので、不要不急のモノは買わなくなります。こだわりのあるものをメンテナンスしながら、大事に長く使う。
それが個人の持続可能性のベースになると思います。
消費者は、買わないでなんとかする。売り手は、売らないで儲ける。
そんなことを考える時代がやってきましたね。
東北大震災の影響は、それを非常にわかりやすく教えてくれたと思います。
(付録)
本書でブラジルのクリチバ市が紹介されていました。
市の中心部から自動車を閉め出し、バス網を発達させて交通から改革を行った有名な事例です。
財団法人ハイライフ研究所のHPにビデオ付きで詳細に紹介されているので参考になります。
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