「イギリスの産業革命とは、イギリス人の発明の才や勤勉のゆえにではなく、カリブ海の黒人奴隷の汗と血によってこそ生み出された」エリック・ウィリアムズ
インドを西回りで発見しようとしたコロンブスは、1492年にサンサルバドル島に上陸しました。
その後、西インド諸島のいくつかの島を巡りますが、目的だった黄金はついに発見できませんでした。
しかし、彼は白い黄金を西インド諸島に移植したのです。翌年の2回目の航海の際、西アフリカのカナリア島産のさとうきびを西インド諸島の1つであるイスパニオラ島に移植しました。白い黄金とは砂糖のことです。
砂糖の用途はコーヒー、紅茶に入れて甘くするというという点では今と同じですが、違うのはその希少性からくる価格でした。
ごく限られた人々、国王や貴族など特別に豊かな人の嗜好品でした。薬局に売られているようなものだったそうです。
しかし、庶民も飲みたいと思ったのは当然で、消費は徐々に拡大していきました。そして、ロンドンにはコーヒーショップがたくさんできたのです。
コロンブスが発見したのはアメリカ大陸そのものではなかったのですが、当時においては、砂糖、タバコ、綿花を産する小さな西インド諸島の方が、広大なアメリカ大陸よりもはるかに価値があったのです。
しかし、高価な砂糖はサトウキビから作りますが、西インド諸島では労働力が全く足りませんでした。そこで、アフリカから奴隷を輸入することになったのです。
そこで、莫大な儲けを生み出す三角貿易(Triangular trade)の仕組みができあがります。
英本国からは銃などの武器、毛織物、パコティーユといわれる装飾品をアフリカで販売し、アフリカで奴隷を購入し、西インド諸島で奴隷を販売して砂糖を仕入れ、英本国で砂糖を販売したのです。
どこでも儲かる三角貿易でした。
三角貿易の中で最も重要な商品は奴隷だったようです。
奴隷の販売だけでも充分に利益があがっていました。アフリカからジャマイカへ送られた奴隷は、1700年から1786年の間に601万人に上ったということです。
英国のリバプールは奴隷貿易で大きくなった港です。1783年から1793年までの10年間でリバプールの878隻の奴隷船が約30万人の奴隷を西インド諸島に輸出し、1500万ポンドの売り上げを上げたといいます。その利益率は30%以上だったのです。
英国は、この三角貿易で蓄積した資本を元に産業革命に突き進んでいきます。綿織物、鉄鋼、機械、造船、金融、保険などありとあらゆる商品、サービスを提供して大英帝国の礎を作っていったのです。
エリック・ウィリアムズの「資本主義と奴隷制」は奴隷制度がどのように産業革命に貢献したかを物語っています。
さらに、三角貿易の行方も航海法の制定と自由貿易への移行など、利害関係者のコンフリクトの間で大英帝国に最大の利益をもたらすように調整されて行くのも興味深いところです。
三角貿易は、相対する当時者で財の交換ができない場合に、その財の持って行き先を第三者とすることで大きな利益を上げました。
英国本国は奴隷を必要としていなかったのです。砂糖もアフリカで売るよりは英本国の方が高く売れたでしょう。アフリカでは銃やビーズなどの装飾品が望まれたのです。
三角貿易の発展形が市場かもしれません。しかし、その売買は相対しています。
現代において三角貿易によって利益が上がる財は何なのでしょうか?
自分が提供できない財で、顧客が欲しているものです。
少し考えてみたいと思います。
(参考)
農業産業振興機構HPには砂糖に関する興味深い情報がたくさん
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