マット・リドレーは「赤の女王」において、なぜ、子孫を残すのにセックスが必要なのかについて書きました。「赤の女王」はジーンの話だったと言えます。一方、「繁栄」はその延長線上にミームのセックス、すなわち、なぜ、人類の繁栄にアイデアのセックスが必要なのかについて書いたと言えます。
ミームという概念と言葉を創造したのはリチャード・ドーキンスです。ドーキンスは生物学的な遺伝子ジーンに対して、知的な自己複製子ミームという概念を創造しました。
マット・リドレーは、ドーキンスが知的な自己複製子とよんだミームをたんなる模倣だけではなく、交換による突然変異であると位置づけたのです。
その「アイデアのセックス(交換)」は人類の集団知であるとします。テクノロジーにおける交換は生殖に等しいと。
マット・リドレーは、アダム・スミスの分業とダーウィンの自然選択にドーキンスのミームを組み合わせて「アイデアのセックス(交換)」という概念を創造したと言えます。
創造とは組み替えであるという前提に立つと、組み合わせるモノが多ければ多いほど有利になります。個人レベルで考えると、空っぽに近い頭から新しい組み合わせの結果であるアイデアが生まれる可能性は低いでしょう。さらに集団知という視点に立つと、自分の脳の容量には限界があるので、他人の脳の活用が有利です。
だからこそ、文明の進化には多くの人口と、多くの人口を支える都市が発達した民族が有利だったのです。さらに多くの人口と都市は分業と専門化を促すため、他の民族、都市と交換するモノを産み出しました。そこで、交易という交換によってさらに他人の脳を活用できるようになったというわけです。
その意味でタスマニア島の悲劇は面白い逸話です。面白いというのは現代にも通じる話だと思うからです。
狩猟採集生活では多くの人口を養えません。19世紀初頭のタスマニア島は9つの部族で5000人程度の人口だったといいます。オーストラリア大陸から孤立したタスマニア島では端に進歩が止まっただけではなく、退歩が始まりました。
ヨーロッパ人が初めて見たタスマニア人は針や柄のついた道具を失い、衣服もない状態でした。彼らは主に槍で動物を捕獲し、漁業は忘れていましたが、貝などは好んで食べていたようです。
タスマニア人クラスの小集団では分業が成り立たちません。専門化するということはそれだけの需要が前提となります。そして、専門化していなければ、他の民族が持っていない専門的なモノもないわけで、交換もできません。その結果、進化に乏しく、むしろ退化していってしまったというケースです。
しかし、ヨーロッパ人が来訪するようになった際に交換に関しては興味を示しました。タスマニア人が欲しかったのは、ヨーロッパ人がアザラシ猟に使った猟犬でした。その猟犬は彼らの食料であるカンガルーを捕らえるのに便利だったのです。ところが、彼らは猟犬と交換するモノを持ち合わせていませんでした。そこで、悲しいことに交換するモノを持たないタスマニア人は女を猟犬との交換材料にしたのです。
その後、いよいよヨーロッパ人の農民が移住してくると、タスマニアの原住民は虐殺され、絶滅させられてしまったのです。
「精神の緩慢な窒息」の結果です。
現代に話を戻すと、インターネットを通じた情報革命でハイエクの言ったカタクラシー、交換と専門化によって自発的に起きる秩序が飛躍的に拡大するインフラが整ったということができるでしょう。
しかし、人類の進歩ははしごを直線的に上るというよりは螺旋階段を回るようなイメージだと思います。螺旋階段をぐるぐる回ることによって様々なアイデアが出会い、交配を繰り返し、突然変異していく。
アイデアのセックスは資本主義の中で競争している企業にとっても重要な概念です。企業にとってのミームはコアコンピタンスなどと言われています。
ドキュメントがきちんと残らない企業は自社の知的な自己複製子すら作れない状態にあると言えます。さらにイノベーション(突然変異)を起こそうとするのであれば、アイデアの交配(当然外部と)をする仕組みを整えることが必須条件となります。
しかし、現実的にはタスマニアの原住民のようになっている企業が少なくありません。アイデアのセックスを近親相姦で行っているような...意図的にではなく、結果として。
アイデアのセックス(交換)は社会における適者として生存するために不可欠な要素であることがよくわかりました。螺旋階段を回って他の知的遺伝子との交配を意図的に実行していくことが不可欠なのです。
TEDにおけるリドレーの講演です。要旨が完結に述べられています。
「繁栄」はおすすめです。人類の明るい将来が見えてきます。
(メモ)
・分業の始まり:男は動物の狩猟に出かけ、女は調理と植物の採集を担当したという性別であった。
・社会的進化:社会的模倣が静かに始まるとき、それを社会的進化と呼んでよかろう。知識は集中されたり、統合された形では存在せず、多数の個人がばらばらに持つ不完全でしばしば相矛盾する知識という、分散した断片としてのみ存在する。ハイエク
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