From the birth of life to the origin of language
John Maynard Smith
「我々に必要なのは、利己性を社会の破壊につながらせないような法制と、そして人類という種全体への忠誠を広めるような神話を作り出すことだ。」
「利己的な遺伝子」に何回も引用されているジョン・メイナード・スミス。原書のタイトルと邦訳のタイトルはかなり違うが、内容からすると原書のタイトル、サブタイトルが適切だと思う。
リチャード・ドーキンスの造語である遺伝子に加わるもう一つの複製子であるミームを引用した上で、人間の複製に関して言語の重要性を指摘し、さらに発展させている。
そもそも利己的なはずの遺伝子の宿する個体が利他的な行動を取る理由は今ひとつ論拠が弱い感じがしていた。ジョン・メイナード・スミスは人間以外の動物にも多少はミームがあることを認めた上で、人間はさらにその文化の伝達に依存した社会を築く能力を遺伝的に複製していると主張する。人間社会を理解するに当たっては複製子としての遺伝子による影響を軽視するものではないが、人間の場合はミームの側面が圧倒的に強いとしている。
もっとも、万物の霊長としての人間に対する常識的な評価からすると当たり前のように感じるのであるが、生命の起源から進化の歴史を数万年追っていくと、自然選択以外で動物が自己複製(遺伝子による)することは考えにくい。人間はそもそも神が創造したという常識をダーウィンが否定したのはつい最近、19世紀半ばの話だ。
遺伝子は4種類の塩基の配列によって、言語は26(アルファベットの場合)の音の配列によっていくらでも多数の意味を伝えることができる。仕組みが似ているというのだ。
さらに、異なる点として、遺伝子は「表現型」としての個体はいつか死んでしまうが、ミームはそのもの事態が「表現型」であり、文化はそのまま複製される。また、他人によって改良される。その意味で、ミームは50%の確率でしか残らない遺伝子より確実に複製できるといえるだろう。人間が何かを残したいというときに、意識してはいないのだが不確実な遺伝子より確実な複製子であるミームを残したいと考えるというのは頷ける。
人間の行動を測る上で、生物学からのアプローチは新鮮。
利己的な遺伝子が利他的な行動を取る問題に戻る。
ここで、「社会契約ゲーム」というモデルが登場する。ここからは生物学的とは言えないのだが、どうやら人間を理解するためには、人間以外の生物学を超えないとならないようだ。この社会契約ゲームがミームとして我々に生まれながらに複製されているとする。
このゲームのルールはこうだ。社会は合理的に振る舞う平等な個人のグループからなり、協同して働けば、サボっている(利己的)な場合よりもよりよく暮らすことができる。しかし、このルールにおいて得をするのは、みんながルールを守っている中でサボる者である。ルールを守らずにサボる者が多くなるとこのゲームは成り立たなくなる。そこで、このゲームのルールではサボる者が多くならないように社会に何らかの強制力を持たせるのである。
そして、その社会契約ゲームが有効となるには2つの条件が必要とされる。その第一は言語をもつことであり、第二は他者が社会契約を理解することである。人間であれば理論的にその2つの条件をほぼ充足することが可能であろうか。誰もそうは思うまい。歴史がそれを物語っている。人間の争い、紛争には枚挙がない。彼はその不条理の理由を自分の帰属するグループのとらえ方にあるとする。
人類全体が自分の所属する「種」である捉えると戦争・紛争などは起こらないことになる。遺伝子、個体、種族と遺伝子が複製していく対象のレベルは異なるのであるが、そのレベルを種族ととらえた場合に、自身がより下位のグループに所属すると理解すると、それよりも上位のあるいは同位のグループと協同せず、競争してしまう。
彼は人間を取り巻く神話と習慣が自己の合理的な利害を棚上げするほど影響力があるとする。その文化的な影響を受ける能力は生得的(遺伝)なものであるというのだ。9.11の事例をみるとわかるような気がする。その生得的な能力は人間の強みでありかつ弱みでもある。
ここから先は、「囚人のジレンマ」と同じ構図だ。ゼロサムか、ノンゼロサムか。1回きりの「囚人のジレンマ」か、反復する「囚人のジレンマ」か。それは、各個人の置かれている環境と習慣に依存しているのだろう。人間は利己的な遺伝子たちが利己的に立ち回るあまり、自身を破滅させないようにミームが制御してきた。ミームをより発展・成長させてノンゼロサムゲームにしてしまう選択以外に人間という種族の遺伝子が複製されていくことはないだろう。
直近では地球環境問題が人間のミームの試金石になるような気がする。
ノンゼロサムの世界でジレンマは反復するということを受け入れるのは理性なのか、感情なのか。有している言語と学習能力の割には幸せではない人間が少なくない。しかし、ミームという自己複製子が人類を少しづつではあるが、進化させていることは間違いないだろう。我々が望むほどのスピードではないにしても。
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