The Wealth and Poverty of Nations
Why Some Are So Rich and Some So Poor
By David S.Landes
Building up(文化・蓄積)とBreakthrough(突破)
”ビジョナリーカンパニー2”でコリンズは「準備と突破」と書いた。準備の期間は驚くほど長く、その準備を継続し続けた企業が偉大な企業に成長・継続している。その「準備と突破」の発想はランデスの本書から得たというのだ。
それで本書を手に取ることに。
ランデスは「準備」ではなく、
Building up(蓄積)と書いている。そして、その蓄積は「文化」という表現に収束していた。なんと「文化」とは…文化とは全体のことだ。
文化は短期間に簡単に作ったり、変えたりすることはできない。ジーンに対するミームともいえるだろう。代々受け継いでいくような性格のものだ。
そのため、ランデスはアフリカ、中東や中南米の将来に対しては悲観的だ。21世紀になっても抗争を繰り返し、文化ともいえるようなものが見えないからだろう。
少し前のナミビア、イエメン、スーダンの内戦、最近地震で大きな被害のあったハイチを見てもそれは伺える。ハイチにおける暴動・略奪もしかり。
それに対して、淡路・阪神大震災の際の日本人の行動を外国人記者は感動を持って報じていた。冷静で住民が助け合っている姿。神戸において商店の略奪や暴動など一つもなかったのである。
同じ人間とは思えない。それだけ、国民性、すなわち文化に違いがあるということだ。
だからランデスの日本の文化に対する評価は低くない。
日本自身が明治維新を経て欧米の植民地にならずに強国に成長した実績。さらには韓国、台湾など日本の旧植民地の発展について。後者は日本統治時代に日本が作った文化の賜物だというのだ。
経済に対する文化の影響を3つのポイントをまとめている。
第一は自律性。知識の探求が自律的に行われること。第二は科学的方法。不統一であった学術上の様々な約束事が統一されるようになったこと。第三は一般化。「発明」という概念の誕生。研究とその普及が一般化したこと。
ランデスの指摘は現代においても決して当たり前の状態ではない。
イスラム諸国に文化の臭いはしない。「イスラム」とは神への服従を意味するらしい。
宗教でビフテキとかトンカツが食べられないとかアルコールが飲めないだけでも気の毒だ。考えなくてもよいということを子どもの時分から教え込まれている。
西洋でも中世のカトリックでは聖書を読むことは聖職者の特権であり、庶民は聖書を持つことを許されなかったそうだ。プロテスタントのオランダ、イギリスはカトリックのスペイン、イタリア、フランスに置いてきぼりを食わしたのもわかる気がする。カトリックが異端裁判、魔女狩りをやっているのをイギリスは笑って見ていたのであろう。
さらに1900年時点の文盲率を揚げている。
確かに文字が読めなくては知識も探求も約束事の統一も発明もあり得ないだろう。
イギリス 3%
イタリア 48%
スペイン 56%
ポルトガル 78%
日本についての記述はないが、1900年頃は10%程度という説もある。西洋のカトリック諸国よりも低かったのだ。イギリスと日本の発展の原因の一つは高い識字率にあることは言えるだろう。
日本国民の文化レベルの高さに関しては昔から数々の逸話がある。
戦国時代に到来したポルトガルの宣教師の報告書における日本人の知的レベルの高さと礼儀正しさ。礼儀などというものはまさに文化の賜物であろう。
さらに、日露戦争の際に捕虜になった日本軍の二兵卒に対してロシア軍の将校が通訳を通じて尋問したところ、二兵卒にもかかわらず高度な軍事用語によって当該会戦の客観的な情勢を語ったことからロシア側が驚嘆し、イギリスの新聞が日本兵の二兵卒の能力の高さを報道したほどのことだったのである。ロシア軍の農奴出身の兵卒のレベルと日本兵は全く違っていたのだ。日露戦争の勝因に文化レベルの差があったということになる。明治の義務教育制の導入により日本には文盲などなくなっていたのだ。
また、太平洋戦争後に進駐してきた米軍は、戦前に日本人が軍国主義に陥った原因の一つとして識字率の低さを想像していたそうである。東南アジア、中国と同レベルで見ていたのであろう。しかし、実際に調査してその識字率の高さにびっくりしたようだ。そして考えていた日本語のローマ字化を断念したらしい。米国はもっと自国の識字率の向上に努力すべきだろう。
なぜ、新大陸を押さえたのが英国で、中国でなかったのか。明の時代、鄭和の艦隊は1431年に300隻もの艦隊で東アフリカのマダガスカルまで到達していた。コロンブスが西インド諸島を発見したのは1492年。
スペイン、ポルトガルの艦隊をしのぐ明であったが、アメリカは発見しなかったのである。
原因を一つに絞って説明することなど通用しない。
知識だけで人を動かすことはできない。
すべての違いは文化から生まれる
「実った努力も、実らなかった努力も歴史の一部である。」
この点でランデスもタレブ、コリンズ、フランクルなどと意見が収束している。
「たまたま」を掴むためには月並みで拍子抜けしてしまうのであるが、たゆまぬ努力をするという選択だ。
ところが、努力を継続しても成功は必ずしも約束されないのが「たまたま」だ。
「たまたま」ということは、率直に言うと、努力を継続しても成功する確率が高くなる程度の変化はわずかなものに過ぎないということだ。
しかし、人間は希望を持って努力を継続すること自体が生き甲斐であり、楽しみなのである。希望を捨てることは人生を終えることとほぼ同意義なのだ。
「ガーシェンクロンの仮説」もおもしろそうだ。
進歩において遅れることは損にはならないという主張だ。
ギャップは刺激であり、努力するように仕向ける薬だというのだ。
韓国の発展がその典型とされている。遅れた国は進んだ国の一番いいところだけ持っていけるというのだ。明治維新の日本もそうだったかもしれない。しかし、維新をしようとする国民とそうでない国民の差は文化だ。
ランデスは国家・民族について書いたが、それは企業・家族・個人にも当てはまる。
文化の維持・向上に必要なもの
それは自律的に成長しようとする多数の個人と好ましい環境だ。
国語が大事。コミュニケーションが大事。読書が大事
まず、成長しようとする個人が増えることだ。
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