円が対ドルで80円台に突入した。今後の為替の動きが予測できれば確実に利益を上げることができる。
ドルの現物を買う人もいれば、オプションで売る人もいるだろう。しかし、その判断は大した根拠に基づいていないだろう。買っている人はおそらく少し前までは120円だったのだから、それくらいまでには回帰するだろうとかといった博打に近い世界。しかし、かつて260円、200円、160円といった時代もあったが、そこに回帰したことはない。60円、50円とならない保障は何もない。
株価も同様。しかし、それは誰にもわからないというのが実態といえる。偉い経済学者でも高給取りの証券アナリストでもわからないのだから無理もない。もし、彼らに予測できるのであれば、彼らはみんなすでに億万長者になっていて仕事などしていないだろう。ノーベル経済学賞受賞者を2名も擁したLTCMも1998年に破綻して世界の経済危機を誘発したくらいだから無理もない。
将来のことはわからない。だからやってみるしかないのだ。
複雑系のよいところはこの点だ。ここが一歩行動に踏み出すために必要なポイントだと思う。
将来はわからない。考えても無駄?。だからやってみるしかないという点だ。
マーク・ブキャナンは人間の将来は予想できないと断った上で、その理由を物理学にたとえて人間を「社会の原子」として説明した。むしろ、人間も自然の一部であり、社会科学と自然科学を分けて考えるべきではないと主張している。
一個人でも社会全体でもなく、人間のパターンに着目せよ。
そのパターンができる要因として「人間の2つの行動原則」、「適応性」、「模倣」、「協調」、「敵対」を挙げている。
まず、「人間の行動原則」
それを考える前提として、人類の数万年の歴史においてその99%の時間は少人数で移動して食料を得ていた狩猟・採集生活であったとし、脳の大半はいまだに狩猟・採集生活時代(石器時代)のプログラムのままであるという。
そして、その結果として第一の行動原則は直感、感情、概念といった反応的な動物的判断であり、蛇を見たらとっさに身を引くといった種類のものであるとする。しかも、脳の機能としてはこの部分が大半であるという。
第二はごく一部ではあるが、場面ごとの適応性。演繹的に仮説を立ててから行動するのではなく、試行錯誤を繰り返して学習をしていく経験的なもの。
いずれにしても、我々が考えているように現状を分析し、選択肢を列挙し、仮説を立てるというような高度な機能として脳を使う場面は非常に少ないとしている。まあ、石器時代と大して変わらない脳であればそういうことになる。だからこそ、人間が合理的な判断で行動することを前提とした将来の予測はできないというのだ。
そして、「適応性」は行動原則の第二につながっているが、マンデルプロのべき乗則が出てくる。マンデルブロの調べたシカゴの綿花相場は相対分布にはなっているものの正規分布というには曲線の裾が広く、極端な出来事が決してまれではないことが証明された。
正規分布による確からしさがないことから引き出される論理的な帰結は、予測可能性が低いため、単純な理論に従って行動しながらその過程で学んでいくしかないということだ。
続いて、パターンを形成する要因の一つとしての「模倣」。
流行、ブランドというようなものはまさに「模倣」といえる。
模倣は基本的には自分よりも他人がそのことをよく知っていると考えた場合の行動だが、同じ社会に生活する上で他の原子と同じことをしていれば仲間はずれにされないといった自己防衛的な感情も強く働いている。
前者の例としてバブル経済下における株式、不動産の購入が典型的。みんなが買っているのだから上がるだろうという感じ。後者の例として携帯電話の購入とメールによるコミュニケーション、同じファッション、子どもにおける同じゲーム機とソフトの購入などが想定される。
一方、セミナー、コンサートにおける観客の拍手も誰かが手をたたき初めてから追随するし、最後まで手をたたいていると他の観客が拍手をやめるのをみて自分もやめたりする。テレビのお笑い番組ではテレビ局が録音された笑い声をご丁寧に流すので、それにつられて笑うことになる。
確かに模倣は人間の行動パターンを作る大きな要因になっている。
「人間は互いに完全に依存し合い他の人々が織り上げた社会という厚い織物に埋め込まれている。行動を起こせばほぼ確実に他の人にぶつからざるを得ない。」まさにその通りだ。
そして、「模倣」によって社会現象の原因の特定は非常に困難になる。何かやっている個人個人に行動に対する特定の要因がなくなっているからだ。
「協調」に関しては「利己的な遺伝子」を引用。
協調の前提となる利他的な行動については、ドーキンスが述べるような利己のための利他ではなく、狩猟採集生活における小集団生活において身についた本性であるとする。ここはジョン・メイナード・スミスの「社会契約ゲーム」をそのまま受け入れている。
「人類を他の生物と区別しているのは知的な点を除くと遺伝的につながりのない他人とでも協調して行動できる能力」
「徹底した相互互恵と協調性に富んだ種族が生き残った」
さらに「敵対」も自分と同じの種ではない相手への対応法であり、社会契約ゲームだ。さらに、内部のパターンを作り出すために意図的に外部に敵を作り出す手法の例としてヒトラー、ミロシェビッチを挙げている。現在の中国もそうかもしれない。
協調、敵対は模倣よりもより強いパターン化の要素である。特に敵対に関してはナチス、セルビア、ルワンダなどの虐殺を見るとそのパターン化への影響力は並大抵ではない。人まで殺してしまうのだから。
人間の行動原則、模倣、協調、敵対とパターンを構成する要素について示唆に富んだ内容だった。複雑系が「関与しているあらゆる人々の中に生まれる微妙な関係と自己組織化(パターン)」であるとすると、将来は予測できないものの、それを前提とした行動をとることはできるだろう。
人間社会の厚い絨毯に織り込まれた社会原子(人)は動こうとすれば、他の社会原子と衝突するし、静止していようとしても協調と模倣が必要なのである。その時々において社会をパターンとして見た上で行動することができるようになる。
人間を自然の一部として自然科学から社会科学を考察する試みは大きなブレイクスルーであり、パターン化は単純化とはいえないものの何もないよりは救いになる。
商品販売のプロモーションはまさにこのパターン化にあると言っていいだろう。
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