「しかし、彼らには秘密の皇帝がいる
おそらく彼は自分で井戸から水を汲む
芸術家なのか、賢者なのか、思想家なのか、
世紀が終わる前に彼はひとりで王冠をつける」 フリードリヒ・シラー
現状の枠組みに不満があった場合に、状況を変える方法は2つ。
現状を変えるか、自分が現状から脱出するかです。
脱出出来ない場合は、現状を変えるしかありません。
ゆでがえる状態の現状をゆでがえるが内部から徐々に変えることはできません。
現状を変える前に自分がゆであがってしまいます。
そこで、革命(クーデター)です
変革には中を取るとか妥協などというような選択はありません。
無血の革命はありえません。
しかし、何をするにも、誰をバスに乗せるか(仲間にするか)が命運を分かちます。
1944年7月20日 12時40分 東プロイセンの独軍総統大本営ヴォルフスシャンツェで大爆発音が響きました。(写真左端がシュタウフェンベルク伯爵。暗殺実行5日前の7月15日のもの。当日は計画を実行できなかった)
爆発音を確認した 国内予備軍参謀長であった伯爵シュタウフェンベルグ大佐は暗殺成功を確信して、ベルリンへ急ぎました。
しかし、そのしばらく後に、ヒトラーはほんの僅かな打撲で生き残っていることが確認されました。
その失敗の理由はいくつかありましたが、それは今回の本題ではありません。
ハインケル111機で空路ベルリンに向かうシュタウフェンベルグ大佐は知りませんでしたが、ベルリンにいたクーデターの同志は、ヴォルフスシャンツェにいた同志のフェルギーベル将軍からの通報によってヒトラーの生存を確認していました。
ヒトラーの生存を知ったメンバーは、自身の身の安全を守るために、まるでクーデター計画がなかったかのように振る舞いはじめたのです。
シュタウフェンベルグ大佐の直属の上司であったオルブリヒト将軍は、何もなかったかのごとく、昼食に出かけます。他の主要メンバーも自分の任務をサボタージュ。
そんな中で、シュタウフェンベルクがベルリンに到着した後に遅ればせながらクーデターはゆっくりと進行します。
その後ヒトラーが生存しているという情報が広がり、クーデターのメンバーは歯が欠けるように脱落して行きます。
そして、クーデター当日のうちにシュタウフェンベルクなどクーデターの主要メンバーは逮捕され、即刻銃殺に
ヒトラー暗殺事件を見ていると、計画自体のずさんさと失敗した場合のコンティンジェンシープランの欠如に気付きます。
もし、ヒトラーが死ななかった場合にどうするか?
あまりのずさんさから気付いたのは
考えていなかったというより、考える必要がなかったのでは?ということ
そもそもシュタウフェンベルクは、仲間の大半を信用していませんでした。できなかったのです。
バスに乗せるべきメンバーに選択の余地がなかったことになります。
だから、あまり先まで考えるまで至らなかった...(考えてもしょうがなかった)
一方、クーデターを途中から降りたメンバーは結果として連座責任を免れなかったのです。
であれば、ヒトラーが生きていようと、始めたからにはクーデターを遂行しないと...
途中から脱落したメンバーは極めて中途半端だったのです。まさに無駄死にです。
裏切り者になった上で、処刑されたのですから
クーデターは決して成功しないことを
だから、理詰めというよりは感情で実行したのです。
しかし、身長183センチに金髪
伯爵家の三男坊
彼は永遠に生きて行くことでしょう。
彼と一部のメンバーは死んで名を残しました。
暗殺は失敗しましたが、彼の思いは残った。
それが彼の狙いだったかもしれません。
参考文献 「ワルキューレ」
映画 「ワルキューレ」
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