GMとはGeneral Mortorsのこと
2009年6月1日 米国破産法を適用し、事実上破綻した。
私は、GMの車に関心は全くなかったし、個人的にはGMが破綻してもなんら影響はない。
しかし、Alfred P.Slone,jrの「My Years with General Mortors」(邦訳「GMとともに」)を読んで、企業としてのGMには尊敬の念をもっていた。
陽は昇り、また沈む。
GMはT型フォードを駆逐し、そして、プリウスに駆逐される。
いや、プリウスに負けたのではない。
自ら自分で作った劇場から出て行ったのだ。
プリウスを演じることをよしとはしなかった。
労組も債権者もGMを愛していた。かってのGMを
だから主張し続けた。我々がGMであると。変化を拒絶した。
愛した過去のよきGMと違うGMは彼らにとってもはやGMではなかったのだ。
よって、自ら退場の道を選択した。
彼らが手段を選ばずなんとか生き残ろうとしたとはどうしても思えない。
様々な見方があると思うが、彼らは過去の自分を否定したくなかった。
理屈ではわかっていたと思う。燃費のよい小型車のニーズを
しかし、作りたくなかったのだろう。許せないのだ。
そんなのは「車」じゃない。
そういう選択もいいじゃないか!
ある種の美学を感じる。いや、美学ではない。DNAだ。
自分ではなんともならないDNA
破綻しても失いたくないものがあったのだと思う。
だから破綻を選択した。かってのままのGMを
遡ると
1908年 フォードがT型フォードを発売した。
モータリゼーションの始まりである。
1920年に米国でいったい何台の新車が販売されていたと思う?
聞いてびっくり!230万台である。
2008年度の国内の全車種登録台数が470万台。
90年前にその半数をすでに販売していたのだ。
そもそも、日本は江戸時代には通行手形をもらって 東海道53次を徒歩で2週間かけて移動していた国だ。
一方、米国は制約なく、馬、馬車で移動していた。馬がエンジンに変わっただけだったのだ。
自動車は動かなければ、ガソリンは食わない。
馬は移動しなくても飼い葉はいるし、病気にもなる。自動車は文句一ついわずに動き続ける。
徒歩の世界から人力車経由で自動車に発展した日本とは大きく歴史的、文化的な違いがあった。
移動の自由を認めるか否かでこれだけの経済力の差が生じる。
事業部制、年次モデルチェンジ、割賦販売、ディーラー網の整備など先進的な経営で成長したGM
すでにその役割を充分に終えたのかもしれない。
企業の命は永遠ではない。
しかし、スローンのDNAは米国のみならず、全世界の企業で生き続けるだろう。
GMお見事!
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