生きる意味においてのコペルニクス的転換
「それでも生にしかりと言う」
ナチスドイツによって強制収容所に収容されて奇跡的に生還した世界的な精神科医のエッセー
フランクルは極限状態においても生きる意味を見いだした。極限とは数分で自分の命がなくなるか否かが決定し、しかもその予兆がほとんどなく、それがいつまで続くかわからない状態である。ブラック・スワンが自分の周囲を飛び回っている。リスクマネジメントの限界への対応としての認識論。極限状態における実証の説得力。
だれが、ユダヤ人というだけで強制収容所送りになり、全財産を失い、家族を失い、労働させられているにもかかわらず、満足に食料も与えられない。かついつ虐殺されるかわからない状態に陥ると想像できるだろうか?そのような不確実性においても人間は人間として生きていける。解釈を超えた静かで圧倒的な感動。
「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。」
「ユダヤ人の強制収容所における極限状態において、生きることの意味が、死を含んでの全体としての意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない。」
「苦しむことは何かをなしとげること。」
「自分がなぜ存在しているかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」
「希望を捨てて投げやりになる気はない。なぜなら、未来のことは誰にもわからないし、次の瞬間自分自身に何が起こるさえわからない。収容所での経験から、少なくとも個人のレベルでは大きなチャンスは前触れもなくやってくることを私たちはよく知っている。」
「あなたの経験したことは、この世のどんな力も奪えない。」
環境のなせる技は大きいが、最後は自身の認識。
自ら選択していく姿勢が大事。一日一日、一刻一刻 人生にドローイングして着色していくのだ。何があっても
コメント